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ドラッカー的日本の未来 その1

当ブログの日本の未来というカテゴリーで、天下りや官僚機構の問題や経済や人口の問題を論じています。それに関連して、最近ドラッカーの思考方法に、興味があって、いろいろ見てるんですが、面白い論文を見つけました。
ドラッカーが10年前に、雑誌フォーリン・アフェアーズに、書いた、日本についての論文です。
*****
これは、「ネクスト・ソサエティ」(Managing In The Next Society) という本として出版されていて、
Ⅳ 第3章 大事なのは社会だ-日本の先送り戦略の意図
というタイトルになっている。
まず、、ドラッカーは、アメリカの政府や経済人が、日本について考えている(間違った)5つの仮説をあげる。

1.政策決定の独占や行政指導による経済支配に見られる官僚の優位性は、日本独特のものである
2.官僚を権力者から公僕へと本来あるべき位置にもっていくことは、政治的な意思により可能。
3.日本の官僚のようなエリート支配は先進社会には必要ない。民主主義にとっても好ましくない。
4.規制緩和への官僚の抵抗、とくに金融分野でも抵抗は一種の支配欲によるものであって、その害たるや甚大で、問題の先送りは、事態の悪化をまねくだけ。
5.結局は、日本は、アメリカにならって、経済を優先させるだろう


そして、これらを否定し、正しい5つの仮説を提示する。

1.官僚の優位性は、ほとんどあらゆる先進国で見られる。
2.日本の官僚は、耐久力がある。
3.先進国では、アメリカを別にして、社会の維持には、エリートの指導力が必要とされている。
4.日本では、問題の先送り戦略が有効。
5.日本の政治家、官僚、経済界などの政策形成者にとっては、大事なのは、経済よりも社会であって、先送りこそ合理的な戦略である。


アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ以外では、官僚優位性があり、とくに、フランスでは、日本より強い。
日本の官僚は、不祥事と無能がしばしば暴露されるにもかかわらず、代替となるものがいないために、エリートとして維持されるだろう

とドラッカーは考える。
フランスの学歴エリート社会については、==>以前のわたしの記事も参照のこと。
また、

天下りについては、日本における官僚支配や特権のあからさまな象徴と思われているが、実際は、アメリカを含むあらゆる先進国に共通の慣行である

とする。
ドラッカーの父は、オーストリアの官僚で40代で大銀行の会長兼頭取に天下った。オーストリアでは、いまでも官僚の天下りはおこなわれている。

日本では、天下りした者の報酬はよいが、閑職であることが少なくないが、ヨーロッパ諸国では、天下りした者は、産業の現場に迎えられる。・・・・
天下りがよいか悪いかは、ここでは問題にしない。重要なことは、それが世界中で行われているということである。


*****
10年も昔に、外国人が、これだけ、日本社会の問題を考えていたということは、驚きである。ドラッカーのこの考えが正しいかどうかは、別であり、われわれがどうすべきかも別だが、真に検討に値する意見というのは、こういうものだと思う。
最近の日本における官僚批判、天下り批判が、浅薄な感じがしていたので、やっとまともな論議をするベースが見えてきたように思われる。
どうして、このレベルの論議が、政治家や、マスメディアやネットメディアで、継続されないのだろうか?なぜ、官僚自身は、沈黙を守っているのだろうか?

(続く)

↓ドラッカーさんは、やはり、大きな存在だった
ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまるネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる
(2002/05/24)
P・F・ドラッカー

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ドラッカー 「経済人」の終わり を読む その2

==>前回の記事で、ドラッカーの”「経済人」の終わり”を読みはじめました。なぜ、いまさら、ファシズムなのか?という疑問もあるでしょう。第2次大戦は、反ファシズム陣営の勝利に終わり、とりあえず世界に自由と平和が戻りました。そして、米ソ対立から冷戦構造の世界となり、その冷戦構造も崩壊したため、現在のグローバリゼーションとマネー流動時代になっているわけです。しかし、世界が、いつ、暗い混乱と未明の時代に入っていくかも知れません。ナチスが政権をとったとき、ドラッカーは、アメリカに逃避しました。われわれも、いつか、どこかの国(そのときは、アメリカではないかも知れません)へ逃避する日が来るかも知れません。

「経済人」のおわり  =要約=

第2章 大衆の絶望
ファシズム全体主義は、ヨーロッパにおいて、ブルジョア資本主義の秩序が崩壊し、マルクス社会主義があたらしい秩序をもたらせなかったために、発生した。
マルクス社会主義は本来の主張であるはずの”階級のない社会”を実現できないことが明白となり、失敗した。
そしてブルジョア資本主義体制における単なる反対勢力のひとつになりさがった。
マルクス社会主義は特権的中間層の問題を解決できない。
マルクスは、中間層の問題を解決できなかったため、「資本論」を完成させることができなかった。
マルクス社会主義革命が先進国で起きなかったのは,ブルジョア資本主義が、特権的中間層を生み出していたからである。
ロシアやスペインやメキシコにおいても社会主義革命のあとに、特権的中間階層が発生して、階級のない社会を実現を不可能にした。
(ヨーロッパでは、すでに、第一次世界大戦が勃発した日に、マルクス社会主義は、本来の意味を喪失していた。)
**
ブルジョア資本主義は、経済体制として、大成功した。
しかし、経済の成長と拡大は、社会的な目的を達成するための手段としてしか意味がない。
ブルジョア資本主義こそ、自由で理想的な社会を自動的に実現するための手段として利潤(利潤動機)を積極的に評価した、最初で唯一の社会的信条だった。(自由で平等な社会は、私的利潤を社会行動の最高の規範とすることでもたらされるとする)
しかし、ブルジョア資本主義の約束は、幻想にすぎなかった。
経済発展は平等をもたらさず、機会均等という名の形式的な平等すら、もたらさなかった。
そのかわりに、閉鎖的なブルジョア階級を作り出してしまった。
ヨーロッパにとって、希望だったアメリカ合衆国の存在も、1929年の大恐慌によるアメリカの崩壊は、ブルジョア資本主義への信頼に回復不能なダメージをもたらした。
**
ブルジョア資本主義もマルクス社会主義も人間を「経済人」と考えるが、もはやその概念は、崩壊した。なぜなら、、「経済人」であることが、自由と平等を約束できないからだ。
(ヨーロッパの基本概念は、自由と平等であり、キリスト教の秩序である。これは、また、ヨーロッパの歴史でもある。)
「経済人」の概念の崩壊によって、人々は秩序ある合理を持った世界観を奪われた
社会は、コミュニティではなくなり、孤立した群集となった。

(続く)









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ドラッカー 「経済人」の終わり を読む その1

経営思想家として、有名なドラッカーですが、彼が23歳、ヒットラーがドイツで政権を奪取したときから、書き始め、29歳の1939年に出版した、最初の本「経済人の終わり」を読むことにしました。
ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり (ドラッカー名著集 9)ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり (ドラッカー名著集 9)
(2007/11/16)
P・F・ドラッカー

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以前の記事(==>西欧近代資本主義の失敗から考えるアメリカと中国において、ヨーロッパが20世紀に2度の大戦を防げなかったために衰退したことと、現在のアメリカと中国の関連に触れましたが、ヨーロッパ近代資本主義と2度の世界大戦を考える際に、絶対避けて通れない、ファシズム(全体主義)の問題について、ドラッカーの名著をベースにして考えてみようと思います。
企業とか経営とかの研究を始めるまえの、若きドラッカーのみずみずしい分析が、古さを感じさせません。なにせ、ヒットラーの登場以前から政権奪取まで、を目の前で、生々しい現実として、目撃し、渦中の様々な人々とリアルタイムに直接話した経験をもとにしてるわけですから、論理展開にも血肉が通っているのを感じます。
ファシズムを革命だと断言し、秩序崩壊の閉塞状況における大衆の絶望が、ファシズムに政権を与え、資本主義もマルクス主義も、形式的民主主義であるがゆえに、ファシズムを打倒できないとするドラッカーの分析は、若者らしい大胆さと、切れのよい知性を感じさせます。

「経済人」のおわり =要約=

まえがき
ファシズム全体主義は、根源的な革命である。
ヨーロッパの伝統(自由)を脅かす、ファシズム全体主義に対抗する政治的意思
社会領域と経済領域に限定して分析する
ヨーロッパとアメリカは違う

第一章 反ファシズム陣営の幻想
共産主義は、革命勢力として、ファシズム全体主義に敗北した。(ファシズムが革命勢力となった。)
ファシズム全体主義に対する、無知と誤解が、ファシズムへの抵抗を弱めている。

ファシズム全体主義の本質は、人間の野蛮性や残虐性の発現ではない
ファシズム全体主義の本質は、ブルジョア資本主義の最後の悪あがきではない。
ファシズム全体主義の本質は、無知で、下劣な大衆へのプロパガンダの結果ではない。

ファシズム全体主義は、他のあるゆる革命と同じように、枠外からの革命であり、昨日までのすべての基本のすべてを変え破壊する。
革命に抗して勝利することができるのは、革命を革命として、認識し、その原因を正しく診断しえたときだけである。
しかるに革命の本当の原因、唯一可能な原因とは、価値観の変化、特に人間の本性と、天地
万物および社会における人間の位置という、最も重要な領域における価値観の根本的、根源的変化である。

ファシズム全体主義は、積極的な信条を持たず、もっぱら他の信条を攻撃し、排斥し、否定する。(否定が綱領である)
ファシズム全体主義は、ヨーロッパ史上はじめて、すべての古い考えを否定し、支配下の個人の福祉向上のための権力の正当化の必要性を認めない。(権力が自らを正当化する)
ファシズム全体主義への参加は、ファシズムの公約を信じないからこそ、支持される。(背理)

旧秩序の崩壊と新秩序の欠落による大衆の絶望
ファシズム全体主義は信条と秩序の代役に「組織」を充てることによって、問題解決のお守りにする。
ブルジョア資本主義やマルクス社会主義における形式的民主主義では、ファシズム全体主義の膨張を防ぐことはできない。「組織」の栄光を最終目的とする思想に対しては、自由と平等というヨーロッパの伝統を基盤とする新しい秩序をもって対峙しなければならない。

(今回はここまで)




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