A FUTURIST’s Blog

ある匿名の日本のFuturist(フューチャリスト)が独自のスタイルを確立するまでを綴るブログ。 当面は、限られた少数の読者を対象として、週一回程度のペースで更新する予定。

裁判員制度と民度の向上

裁判員制度の実施期限が近づき、様々な点から、これでだいじょうぶかという論議が出ている。
いまさらない言ってんだという感じがする。
何年か前に、この制度が実施されるらしいと聞いて、素直に感じたのは、
そもそもこの制度が満足に機能するには、、隣人を死刑にするかどうかという判断を、個人として、合理的かつ冷静に判断できるだけの、見識や人間性、独立性をほとんどの国民が具えていなければならない。PTAの会議で、運動会のだしものを決めるのとは、わけが違う。リストラで誰を解雇するかを決めるのは、似ているが、裁判ははるかに難しい。
自分に照らして考えても、自分が、態度を表明することはできるだろうが、それが正しいという確信を持つのが難しいし、確信を持ったとしても、たまたま持っただけのことだろう。

こういう法律が十分な国民的議論をしないまま、国会で、ほぼ満場一致で成立してしまう幼稚さにはあきれてしまう。
6月の朝まで生テレビは、裁判員制度がテーマだったが、議論していた、法曹関係者たちの発言も、彼らのレベルの低さを露呈していたように思う。「裁判の民主化」を言いつつ、どうやってそれを実現すべきかすらよくわかっていない。とりあえず、実施時期を延期して、よく考えなおそうというのが主流の意見のようだったが、君たち、プロとしてちょっとはずかしいねというのが、わたしの感想だ。

ただし、ブログAuthorは、国民の裁判参加それ自体には、反対ではない、どちらかといえば賛成である。なぜなら、ブログAuthorは、政府より企業、企業より個人(家庭)が重要であり、あらゆる分野において、個人(家庭)のレベルが向上していくこと(=民度の向上)が、未来を豊かにすると考えているからだ。日々の生活の中で、死刑やそれに準ずる重犯罪が存在することを、現実として、思考するには、貴重な経験であると思うし、ひとりの大人の国民として、責任ある判断を迫られることも良いことだと思う。

しかし、日本国民にとって、大きな課題は、日本国民は、民主主義の先進国として、一応国際的に認知されてはいるものの、それは、外向きの、表層でしかないという「ウチとソト」「タテマエとホンネ」の2重構造の世界でもある。依然として、「お上(かみ)」が仕切る世界であり、憲法にしたところで、ホンエを言えば、占領軍に押し付けられたものであり、アメリカの意向が変われば、いかようにも操作されてしまうのが現実だとあきらめているとすら思える。

つまり、日本国民は、根源的な意味において、まだ、大人として自立していないのである。


その問題を抜きにして、「裁判の民主化」を語ったところで、虚しいのはあたり前と思う。

参考=>日本の根源的保守性




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現役官僚たちよ、発言せよ

このブログでも、天下りや官僚機構について、記事を書いてきた。
最近では、国家公務員制度改革基本法案が、国会で、予想を覆す展開を見せて、可決・成立に到った。
朝まで生テレビの、官僚機構の特集も、ひさしぶりに、盛り上がっていたと思う。個人的には、最近元気な片山さつき氏が、さかんに「それでは、プロとして、甘い」と何度も叫んでいたのが印象的だった。つい最近まで、大蔵省の中堅のキャリア官僚だっただけのことはあって、このテーマになるとなかなか鋭い。元エイリアン官僚の高橋洋一氏も、その天才的頭脳と対象的に茫洋とした感じがかわいい(笑)。
J−POWERの外資ファンド投資規制問題についても、相互リンク先のPALCOMさんはじめ、電力や原子力の特別な公共的安全保障的位置づけの論議と並んで、天下りの存在の是非が、多くの人たちから、するどく指摘されている。
ブログAuthorとしては、日本の近代は、明治維新以降、第2次大戦後も継続して、官僚機構が、日本全体をコントロールし、安定化してきたという側面がかなり強くあって、また、重要なことは、戦後のバブル崩壊の過程で、経済は、いったん、清算されたものの、官僚機構や公的組織の、責任は、問われず、バブル期に獲得した利権や特権を抱え込んだままになっていることにあると考える。もともと、官僚機構は、自己増殖を、自分ではとめられない本質をもつと考えれば、官僚機構を甘やかし、野放しにしてきた、日本国民の怠慢だともいえる。
日本という組織のすみずみまで、はりめぐらされた、官僚支配のための装置は、もしかすると、日本を再起不能の没落国家へみちびくガン細胞となるかもしれぬ。(ま、そこまで言うといいすぎだけど)
さて、本日のブログAuthorのオピニオンは、

現役官僚たちよ、発言せよ。
組織のルールをやぶってでも発言せよ

である。
これだけ、日本中で、官僚やその仕組みが、日本の未来を切り開いていくのに問題が多いと、騒ぎになっているのに、沈黙しているのは、卑怯だ。現役官僚諸君、ブログを書きなさい。禁止されていても、匿名でも、なんとかして書きなさい。自分の信ずるところに従い、思うところを述べなさい。国民に真実をつげなさい。

以上。




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天下りについて  その1

今回は、天下りについて、考えてみたいと思います。
最近、戦後の日本の体制見直しにともない、「天下り」の是非論や、官僚機構の組織や人事のありかたが問題になることがしばしばです。しかし、ブログAuthorの目には、いつも本質的な議論がなされないまま浅薄な処置に終わっているように見えます。
「天下り反対」もよろしいのですが、そもそもなぜ官僚が「」なのでしょうか?国家がで、官僚組織以外がであるという設定は、そもそも受け入れ可能であり、持続可能なな前提なのでしょうか?
同じような意味で、庶民がよくつかう言葉に「お上(かみ)」というのがあります。なぜ、政府や役所が、上で、国民が、下なのでしょうか?冗談や愛嬌で言うなら問題ありません。ブログAuthorには、この「お上」意識が、持続可能な考え方とは思えないのです。
官僚機構は、日本国憲法の規定により、国民へのサーバント組織ではなかったのでしょうか?いつから、サーバントが天に舞い上がってしまったのでしょうか?ここには、現代の世界を枠組みを考え、日本の未来を考えるうえで、非常に基本的でありつつ、本質的な課題が埋蔵されているのではないかとブログAuthorは考えています。
埋蔵金どころの話ではありません。金よりもっと大切なものが、世界には存在するからです。
つまり、現代の民主主義の理想と現実について、あらためて白紙から考える必要があるのではないかということです。

続く



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夏目漱石 「こころ」 

前回の記事で、漱石の「こころ」のあらすじを書いた。ブログAuthorは、別に漱石のファンでもなく、また、このブログは、文学ブログでもない。したがって、文学派の方々から見れば、とんちんかんな意見にみえるかもしれないが、日本の未来を思考するための、基本的なデータだと考えてみたい。「こころ」をFuturist的に読み解くと、キーワードは、フィナンシャル・フリーダム と 日本人の倫理性と 明治という時代性だと思う。

物語上、重要な思想の語り手は、”わたし”から”先生”と呼ばれる人物として設定されている。最後には、明治天皇の崩御にあわせて、自殺するのだが、”わたし”に長文の遺書を残す”

私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけてあげます。然し恐れてはいけません。暗いものをじっと見詰めて、その中から貴方の参考にあるものをおつかみなさい。私の暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生まれた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかも知れません。然しどう間違っても、わたし自身のものです。...(中略).....わたしは今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔を浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です。


現代人の感覚からは、そもそも倫理というものが、実感しにくいものであり、そのうえ、資産家のぼんぼんの労せずして、フィナンシャル・フリーダムを得ている”先生”のストーリに、なぜ、国民文学といわれるような評価がされているのだろう。
それは、ひとことで言えば、明治という時代の中で、欧米列強との国の存亡・盛衰を賭けたせめぎあいのなかで、こころのアイデンティティという課題が消えずに残されているからであり、フィナンシャル・フリーダムは、こころの問題を浮かび上がらせるための舞台装置なのだ。

欧米列強とのせめぎあいのなか、日本人のこころのアイデンティティは、どこへ隠れて生きていたのか。明治の文明開化のなかでも、それは、容易に欧米近代文化に溶け込むものではなかった。

漱石の提示した問題は、より暗く悲惨な形で、第2次世界大戦の日本の精神状態へつながって行く。
日本の敗戦のあとも、”日本”は解体されることはなく、奇跡の経済復興を遂げた。だが、ここで問うべきは、日本人のこころのアイデンティティは、どこへ隠れて生きているのか?そして、それは、どこへ向かっているのか?である。

もしかしたら、グローバリゼーションのうねりの中で、アイデンティティすら解体する運命にあるのだろうか?

未来の日本人が、早いか遅いかは別として、フィナンシャル・フリーダムを獲得したあとに、どういう生き方や考え方を選ぶかもFuturistとしての関心事である。

漱石さん、ダンディですね↓
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地方再生と大前研一

斉藤さんのブログで、松本市の選挙のことがとりあげられています。
斉藤さんの日ごろのブログでは、地方都市の過疎化、不況化がよく指摘されています。
わたしは、地方の状況は、生活実感としては、わからないのですが、もし本当に、たとえば、財政危機とか、地域崩壊のような深刻な状態であるならば、思い切って、大前研一とか、そういうアクが強くでも、頑固に自分をまげないような人を、首長にかつぎあげて、再生リーダーとして、手腕を振るってもらったら、よいのではないでしょうか?失敗するかも知れませんが、うまくいけば、かなり盛り上がると思います。
大前研一さんにしても、もはや、東京や国政では、ちょっと相手にされないでしょうから、へんなプライドは捨てて、名も無い地方の瀕死の町を再生させることにチャレンジしてみたらどうでしょうか?経済的なことは得意中の得意のはずですから、他のことは、あまりできなくても、危機を乗り越える知恵くらいは出せるでしょう。マキンゼーのスター・プレーヤなどという過去の名声が通用しないような日本の現実を身をもって、経験しないことには、彼の政治家としての未来はないと考えています。
ただし、松本市は、小さな無名の町ではないですし、実際には、それほどひどい状況ではないかもしれないですし、まだ、瀬戸際まで追い詰められてはいないような気もします。まだ余裕があるのではないでしょうか?
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