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標準年齢で、分類されることの不快

年齢で、人間の能力とか、未来を判定することについて考えてみます。
後期高齢者医療制度の、75歳で、全国民を分類してしまうことには、国民的な議論として、賛否両論あります。
また、日本の雇用慣習の中で、定年制度の多くは、60歳を定年としていますが、大前研一氏などは、50歳以前と以後では、仕事への姿勢を変えて、ペースダウンしたほうがよい、と主張しています。
さらに、ブログAuthor(カールバーグ)の接点のある某組織においても、定年は60歳ですが、50歳以上に対しては、退職しやすい(させやすい?)仕組みをつくろうとしているようにも、見えます。
こういった、50歳、60歳、75歳が、なぜ、この数字なのか、一律に、多様な個人に当てはめてよいのか、という点について、あまり、納得のいく、わかりやすい根拠や思想が示されていないように思います。


ひとつ明らかなのは、人類の平均寿命は、長寿な日本人で、80歳から85歳程度、おおよそ 100歳プラスちょっとが、長生きの限界で、150歳や200歳まで、生きた人類は、存在しないということでしょう。
するとたとえば、75歳は、日本人の平均寿命の、5年から10年手前。100歳を全人生とした場合の、四分の三だと見ることもできるでしょう。
同様に、50歳は、100歳の半分、60歳定年の10年手前と見ることは、できるでしょう。
たとえば、

  0歳から25歳 教育と勉学
  25歳から50歳 仕事
  50歳から75歳 第2の仕事(リタイヤ)
  75歳から100歳 最後の人生

↑このように概観することもできます

しかし、ブログAuthor(カールバーグ)には、どの理屈も、とうてい、自分で、自分のポリシーをつくるのなら、ともかく、官僚や、企業官僚やメディアや評論家に、一方的に利用されるべきでないと思われます。
けれども、国家や企業というものは、多数の人間を管理する必要があるため、便宜上、ことがらを単純化して、仕組みをつくり、反復可能なものにする必要があるわけです。したがって、多様な個人を切り捨てて、誕生日からの経過時間で、人を選別することは、最善ではないとしても、必要悪として、残るでしょう。
ともあれ、ブログAuthor(カールバーグ)は、Futuristとして、大きな組織が、その権威を傘にして、一律に年齢的なフィルターを押し付けることに、激しい嫌悪を感じます。だから、悟ったことを書いている大前研一さんは、やっぱりダメだなぁ、と思いますし、逆に、60歳になって、はじめて子どもをつくり、夢中になっている、年齢を忘れているかのようなジム・ロジャーズが大好きです。
組織や仕組みが、一定の年齢モデルを使うことは、効率や、費用、効果、公平さなどを考慮して、チェックしたうえで、認めてあげなければいけません。
けれども、組織や、仕組みのほうが、押し付けてくる、年齢像(年齢モデル)に、洗脳されてはいけません
それらは、一面の真理は、あるでしょうが、組織の都合、仕組みの都合によって、極めて限定的なツールになってしまっていると考えましょう。
年齢モデルは、自分で、つくりあげましょう。時間を売り渡すのは、最小限にするべきです。
いつの日か、人類が、150歳、200歳まで、寿命を伸ばすことは可能になると、信じるのも自由でしょう?
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