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「擬似現実の神話はがし」 鮎川信夫

ふと 古本市で、昔の鮎川信夫氏の本が目に止まって、購入した。

↓これ


疑似現実の神話はがし (1985年)


1984年から85年にかけての、詩人 鮎川信夫のエッセイ集だ。
1984年といえば、ジョージ・オーウェルの「1984」、村上春樹の「1Q84」が、連想される。

鮎川信夫は、戦後の詩人集団「荒地」の中心人物で、詩人としての地位を保ちながら、詩作にはあまり積極的でなく、文明批評のような洒落てエスプリの効いた文章を書いたり、吉本隆明とDEEPな対談を続けたりしていた、個性的な存在だった。
戦後の詩人としては、たとえば、谷川俊太郎と比べると、世代的には、それほど離れていないのに、やはり、目指しているものが全然違うという気がしてくる。
さて、この本のなかに、「『1984年』の視線」というエッセイがあり、
究極的なビジョンということについて書いている。
現代には、核戦争の脅威とか、全体主義的管理社会の恐怖、とか、様々な究極的なビジョンが存在して、健全な判断を狂わされる危険がある。だが、実際は、そんな究極的ビジョンはあり得ない。たとえば、日本人全員が「核戦争を起こしてくれ」と言っても、核戦争は起きないのだから、核兵器に反対することは、無駄なことだ。オーウェルが「1984」で描いた超管理社会も、現実には起こりえない。

問題は、究極のヴィジョンが起こりえないことをどこまで認識できるか、である


究極的なビジョンに騙されて、思考停止に陥ってしまうことを、鋭く批判している。
現実認識と詩的感性のバランスが、鮎川信夫の持ち味とすれば、この文章は、鮎川信夫らしいと言えるだろう。
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