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大前研一の成功と敗北とは なんだったのか その1

大前研一については、何度か言及してきた。
http://ft2007.blog112.fc2.com/blog-entry-6.html
http://ft2007.blog112.fc2.com/blog-entry-15.html
http://ft2007.blog112.fc2.com/blog-entry-16.html

そして、その日本人としての知性の異質さと、経営コンサルタント兼ビジネス書ライターとしての傑出した成功と、日本の政治家としての決定的な敗北が、Futurist的に、関心の対象であった。

いろいろと検討した結果、やはり、大前研一は、日本の知識人が伝統的に陥ってきた落とし穴に、はまって敗北した、との単純な仮説にいたった。つまり 彼が主張した知識や考え方は、時代的には、進んでいたかもしれないが、日本の知識人が、必然として背負う課題に対しては、古来からの典型的失敗パターンを踏襲して、必然的に敗北した。
厳しい言い方をすると、世界の知識人としては、超一流だったが、日本の知識人としては、2流以下のバカもんだったと見ることもできる。
なぜ そういうことが おきるのか。
知識人は、勉学によって、知識を得、高度な知識を身につけるほど、知識的には、偉くなり、その世界で認められれば、出世して、地位や名誉や金銭を得ることができる。
しかし、知識と現実は、べつの次元の話なのだ。知識は通常、現実を一定のルールで抽象化し、知的能力で処理することで、獲得できるが、それは絶えず現実を見失なって、独善化する危険と表裏一体だ。
そして 自然科学の場合は、比較的に、知識の基準が、世界共通であり、また、前提条件や論証プロセスが、人間主体価値にかかわるものでないかぎり、普遍性をもってうけいれられやすい。たとえば、重要な数学の証明とか、物理学の発見などは、グローバル・スタンダードが存在するといってもいいだろう。つまり、現実から遊離した状態であっても、独善・ドグマ化する危険がすくない。(というか、仮にそう考えておこう)
ところが、人間存在や社会そのものにかかわることについては、そう簡単ではない。世界で支配的な思想や学問で認められても、それが、どこの社会や個人にとっても正しくて、受け入れられるとは限らないのだ。現実から遊離し、独善・ドグマ化してしまえば、その知識は、腐敗し、死ぬのだと思う。あるいは、害悪となって世にはびこる可能性もある。
たとえば、日本でも、世界での共産主義勢力の増大を背景に、マルクス経済学が隆盛した時代があったが、大学の中だけのものに終わった。市場経済のほうが、社会を豊かにし、インターネットのほうが、豊かさと知識を多くの人に広げることができるとわかったからだ。

続く

↓大前さんは、最近は、流行の個人資産運用の分野でも活躍しているが評価は未知数(笑)。彼の文章は、思想の論理より、文学的アジテーションで売れてるような気もするが、ファンはまだまだ多い。

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