夏目漱石 「こころ」2008-01-26 Sat 18:20
前回の記事で、漱石の「こころ」のあらすじを書いた。ブログAuthorは、別に漱石のファンでもなく、また、このブログは、文学ブログでもない。したがって、文学派の方々から見れば、とんちんかんな意見にみえるかもしれないが、日本の未来を思考するための、基本的なデータだと考えてみたい。「こころ」をFuturist的に読み解くと、キーワードは、フィナンシャル・フリーダム と 日本人の倫理性と 明治という時代性だと思う。
物語上、重要な思想の語り手は、”わたし”から”先生”と呼ばれる人物として設定されている。最後には、明治天皇の崩御にあわせて、自殺するのだが、”わたし”に長文の遺書を残す”
現代人の感覚からは、そもそも倫理というものが、実感しにくいものであり、そのうえ、資産家のぼんぼんの労せずして、フィナンシャル・フリーダムを得ている”先生”のストーリに、なぜ、国民文学といわれるような評価がされているのだろう。 それは、ひとことで言えば、明治という時代の中で、欧米列強との国の存亡・盛衰を賭けたせめぎあいのなかで、こころのアイデンティティという課題が消えずに残されているからであり、フィナンシャル・フリーダムは、こころの問題を浮かび上がらせるための舞台装置なのだ。 欧米列強とのせめぎあいのなか、日本人のこころのアイデンティティは、どこへ隠れて生きていたのか。明治の文明開化のなかでも、それは、容易に欧米近代文化に溶け込むものではなかった。 漱石の提示した問題は、より暗く悲惨な形で、第2次世界大戦の日本の精神状態へつながって行く。 日本の敗戦のあとも、”日本”は解体されることはなく、奇跡の経済復興を遂げた。だが、ここで問うべきは、日本人のこころのアイデンティティは、どこへ隠れて生きているのか?そして、それは、どこへ向かっているのか?である。 もしかしたら、グローバリゼーションのうねりの中で、アイデンティティすら解体する運命にあるのだろうか? 未来の日本人が、早いか遅いかは別として、フィナンシャル・フリーダムを獲得したあとに、どういう生き方や考え方を選ぶかもFuturistとしての関心事である。 漱石さん、ダンディですね↓ ![]() |
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