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夏目漱石 「こころ」 

前回の記事で、漱石の「こころ」のあらすじを書いた。ブログAuthorは、別に漱石のファンでもなく、また、このブログは、文学ブログでもない。したがって、文学派の方々から見れば、とんちんかんな意見にみえるかもしれないが、日本の未来を思考するための、基本的なデータだと考えてみたい。「こころ」をFuturist的に読み解くと、キーワードは、フィナンシャル・フリーダム と 日本人の倫理性と 明治という時代性だと思う。

物語上、重要な思想の語り手は、”わたし”から”先生”と呼ばれる人物として設定されている。最後には、明治天皇の崩御にあわせて、自殺するのだが、”わたし”に長文の遺書を残す”

私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけてあげます。然し恐れてはいけません。暗いものをじっと見詰めて、その中から貴方の参考にあるものをおつかみなさい。私の暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生まれた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかも知れません。然しどう間違っても、わたし自身のものです。...(中略).....わたしは今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔を浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です。


現代人の感覚からは、そもそも倫理というものが、実感しにくいものであり、そのうえ、資産家のぼんぼんの労せずして、フィナンシャル・フリーダムを得ている”先生”のストーリに、なぜ、国民文学といわれるような評価がされているのだろう。
それは、ひとことで言えば、明治という時代の中で、欧米列強との国の存亡・盛衰を賭けたせめぎあいのなかで、こころのアイデンティティという課題が消えずに残されているからであり、フィナンシャル・フリーダムは、こころの問題を浮かび上がらせるための舞台装置なのだ。

欧米列強とのせめぎあいのなか、日本人のこころのアイデンティティは、どこへ隠れて生きていたのか。明治の文明開化のなかでも、それは、容易に欧米近代文化に溶け込むものではなかった。

漱石の提示した問題は、より暗く悲惨な形で、第2次世界大戦の日本の精神状態へつながって行く。
日本の敗戦のあとも、”日本”は解体されることはなく、奇跡の経済復興を遂げた。だが、ここで問うべきは、日本人のこころのアイデンティティは、どこへ隠れて生きているのか?そして、それは、どこへ向かっているのか?である。

もしかしたら、グローバリゼーションのうねりの中で、アイデンティティすら解体する運命にあるのだろうか?

未来の日本人が、早いか遅いかは別として、フィナンシャル・フリーダムを獲得したあとに、どういう生き方や考え方を選ぶかもFuturistとしての関心事である。

漱石さん、ダンディですね↓
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